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	 どうも、ごむ屋です。先程、12R(’02黒金)に別れを告げてきました。 
今日の千葉は冬晴れの気持ちのいい朝でした。今週はずっと出張責めで昨夜、ようやく自宅に戻りました。 
”明日の天気は晴れかぁ!休日出勤だけど、バイクで行っちゃおうかな!”などと、ウキウキ気分で床にはいり、疲れていたせいか、速攻で寝てしまいました。 
翌日の目覚めは爽快で、支度をしてガレージに向かいました。 
 
先週、やっと届いたB/Sとブレーキラインが輝いてました。 
暖気も最近では、水温が上がって、チョークを戻すとエンストしていたのですが、今日はそんな事も無く、快調そのものでした。B/Sのポジション確認を行いながら、会社に向かいました。 
 
路面は結構冷えている感じで飛ばさず(といっても50〜60くらいはすぐでてしまいますが…)調子を見ながら走っていました。 
民家の裏の細道を流すペースで進んでいた時、事件は起こりました。いきなり、パジェロミニがT字路左から出てきたのです。もう、ほんとうに目の前で。 
パジェロミニも鼻先だけ出した状態なら、かわせたのですが、こっちなど、全く見ないでドンドン出てきました。 
 
”マジかよ。ほんとにぃー” 
もう、教習所で出てくる絵に描いたような状況でした。12Rと私は少し右に傾きながら、パジェロミニのフロントフェンダーめがけて突っ込んでいきました。 
ガッシャーン……ピュー…ドカッ、バタッ……ゴロゴロ… 
 
近所のおばさん連中がみんな出てきました。私はしばらく青い空を眺めていました。”なんてきれいな空なんだろ!…そして、俺、どうしちゃったの?…みんなどうしたの?” 
 
事実を把握できるまもなく、みんなから”うごかないで!いま、救急車くるからっ!”といわれ、そのまま空を眺めていました。 
 
しばらくして、救急車が到着して運ばれていきました。病院に。 
身体は右もも打撲その他、軽症で済みました。 
 
病院をでると、パジェロミニのじいさん、ばあさんが待ってました。 
二人は本当に恐縮していて、ひたすら謝ってばかりいました。私はそんなことより、12Rはどうなったんだ!…そっちばかり気になっていました。 
 
現場に戻ると、12Rはバイク屋へレッカーされていくところでした。 
そっとレッカーの荷台をみると、見たことの無い形のネイキッドが乗っていました。”あれ、もしかして、これ、僕の?” 
 
よくみると、先週つけたばかりのB/Sが、微妙なRを付けられて取り付いてました。 
キャスター角もこれ以上はつきません!って程、立ってました。フレームのヘッド部分も亀裂が… 
カウル類は見事なまでに、粉々でした。もう、どれがどこかわかりません。 
オイルも流れ出ていました。警報機も泣いてました。12Rは泣いていました。とても痛々しくて見てられませんでした。 
そんな俺をよそに、パジェロミニのじいさんは、しきりにバイクの値段を気にしてました。”このナナハン、高かったんでしょうねぇ、家のくるまが二台位買える額なんでしょう?” 
じいさんは、俺が”買って返せ!”と言うと思っているみたいで、必死に自分の境遇を話していました。去年リストラされたとか、娘も仕事が無くて大変だとか…。そんなのきいてないっちゅーの!!それに、ナナハンじゃねーよ! 
 
じいさんと話をしても疲れるので、じいさんの連絡先、警察と保険やの担当の連絡先を聴いて、レッカーの後を追ってバイク屋に向かいました。警察は人身扱いにするといってました。 
 
バイク屋がみるなり、”全損ですね”……そ、そうですか!修理できないんだ!あっ、そうですか。 
修理できないことはないけど、どこから見ても事故車になっちゃうといってました。 
”あとは保険屋にみせて、処分許可がでたら、処分しておきます。つぎも12Rでいきますか?”と、速攻商売気丸出しでした。まー、そんなもんでしょかね! 
 
二月に納車されてから、まだ8ヶ月…。あまり乗ることができなくて、ほんとうにかわいそうなことをしてしまいました。まだ、時間が経っていなくて、イマイチ実感がありませんが、多分、明日には、打撲したところがはれたり、熱がでたりして、苦しむ事になりそうです。なんか、いまも頭が痛くなってきました。 
 思い起こせば、昨年の12月、まだ出てもないのに、予約注文して手に入れた12R。わたしのはじめてのバイクでした。これから、少しづつ、悲しみが湧いてくるんだろうなぁ。 
 
 
次の記憶は、 
 
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